補陀洛山 志度寺

【御詠歌】
いざさらば今宵はここに志度の寺
祈りの声を耳に触れつつ

仁王門

【国指定重要文化財】門前町の突き当たり、運慶の力作、仁王像と巨大わらじが迎えてくれる、全国的にも珍しい三棟造りの堂々とした佇まい。本堂とともに讃岐藩主、松平頼重により寄進されました。※画像1

閻魔像

志度寺の縁起によると、志度寺の閻魔大王は、本尊の十一面観音と同体とされ、頭上に十一面の仏面を頂くお姿で、極楽往生・蘇生の閻魔とされている。閻魔堂に安置されている閻魔大王像は、室町時代の中頃に、等身大の像を作るように命じて自ら体を採寸して与え、「弥阿」という尼僧を蘇生させたと伝わる。閻魔大王の顔は、参拝する人のその時々の心の在りようによって、怖い顔に見えたり優しい顔に見えたりすると言われている。※画像2

志度寺の歴史・由来

香川県東部、志度湾に面して建立される志度寺。海の向こうはるかには、屋島や五剣山の稜線を望めます。開創は古く推古天皇33年(625)、四国霊場屈指の古刹です。海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ、その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し「死度道場」と名づけられました。その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。能楽の作品「海士(あま)」の舞台としても語り継がれています。

室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄するが、戦国時代に荒廃。その後、藤原氏末裔、生駒親正(安土桃山時代、信長や秀吉などに仕える)による支援を経て、寛文10年(1671年)高松藩主松平頼重の寄進などにより再興されました。志度は、江戸時代の奇才平賀源内の故郷であり、近くに記念館があります。

志度寺の見どころ

仁王門(国指定重要文化財)・本堂・本尊(国指定重要文化財)・海女の墓(能楽でも詠まれる藤原家にまつわる悲話の舞台、藤原房前が母のために建立したと言われる「海女の墓」が約20基並んでいます。海女の命日である7月16日には、「志度寺の十六度市」が開催されていました。(現在は中止)この日は年に一度、本尊十一面観音の御開帳を行っております。)

曲水式庭園・無染庭
(むぜんてい)

「曲水式庭園」は室町時代の作庭で、天に向かいそびえる力強い石組が印象的。書院の正面に作庭された無染庭は重森三玲の作品で禅式枯山水庭の定型を採り竜安寺を感じさせます。

志度寺の年中行事

どんと焼き
日時:1月15日
柴燈大護摩
日時:5月 第2日曜日
本尊十一面観音御開帳
日時:7月16日・17日
永代土砂加持法要
日時:12月 第2日曜日
閻魔堂御開帳
日時:毎月17日

第86番札所 補陀洛山 志度寺
(ふだらくさん しどじ)

宗派
真言宗 善通寺派
本尊
十一面観世音菩薩
開基
藤原不比等
創建
推古33年(625)
真言
おん まか きゃろにきゃ そわか

アクセス情報

所在地
〒769-2101 香川県さぬき市志度1102
電話
087-894-0086
駐車場
あり(無料)
宿坊
なし
公式HP
なし

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