四国八十八ヶ所霊場紹介 愛媛県(伊予)の霊場

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このところ三島に夢のさめぬれば 
別宮とても同じ垂迹

別宮山 金剛院 南光坊

南光坊の歴史・由来

四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけである。正式には光明寺金剛院南光坊という。今治市の中心街にあるが起源は古く、航海の神、総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわる歴史を有する。
縁起によると、大宝3年、伊予水軍の祖といわれた国主・越智玉澄公が、文武天皇(在位697?707)の勅をうけて大山積明神を大三島に勧請し、大山祇神社を建てた際に、法楽所として24坊の別当寺を建立したことが創始といわれる。これらの別当寺は翌々年、海を渡っての参拝が不便なことから現在の今治市に移されているが、和銅元年(708)に行基菩薩が24坊のうち8坊を「日本総鎮守三島の御前」と称して奉祭した。さらに、弘法大師がこの別当寺で法楽をあげて修法され、霊場に定められた。


大師堂

のち、伊予全土におよんだ「天正の兵火」により、社殿・伽藍はことごとく焼失したが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興された。慶長5年(1600)には藤堂高虎公の祈願所として薬師堂を再建、また江戸時代には藩主・久松公も祈祷所にして信仰し、祭祀料を奉納している。
さらに時代がさがり、明治初年の廃仏毀釈では本地仏として社殿に奉安していた大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像、観音菩薩像を南光坊薬師堂に遷座し、別宮大山祇神社と明確に分離した。
太平洋戦争最末期の昭和20年8月、空襲により大師堂と金比羅堂を残して罹災した。現在の本堂は昭和56年秋、薬師堂は平成3年春に、山門は同10年に再建されている。

南光坊の見どころ

大通智勝如来

金比羅堂

『法華経』の化城喩品第七に説かれている仏で、大山祇大明神の本地とされて河野水軍に信仰された。

川村驥山の菅笠

書道界初めて芸術院賞を受けた書家で、昭和29年娘を伴い遍路の途中に南光坊の住職と出会い、奉納した菅笠。あまりの達筆に驚いた住職の望みに応えた。

金比羅堂

讃岐の金比羅宮から勧請している金比羅大権現を祀る堂。

南光坊へのアクセス

  • 今治インターチェンジから国道196号線片山交差点を左折、今治市街方面へ直進。今治大丸の前を左折、約500mの左手にあります。

 

第55番札所 別宮山 金剛院 南光坊 べっくざん こんごういん なんこうぼう


▲境内案内図
宗 派: 真言宗醍醐派
本 尊: 大通智勝如来
開 基: 行基菩薩
創 建: 大宝3年(703)
真 言: なむ だいつうちしょう ぶつ
住 所: 〒794-0026
愛媛県今治市別宮町3丁目1番地
電 話: 0898-22-2916
駐車場: 普通20台・マイクロバス2台・大型1台
終日・無料
宿 坊: なし