人のぬくもり、自然とのふれあい。出会いの旅、四国遍路

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新着情報

【遍路道通行止解除のお知らせ】

 59番国分寺より60番横峰寺への遍路道の修復が進み、何とか通行ができるようになりました。完全な修復までにはまだ時間がかかるそうですので、充分、気を付けてご通行ください。

【通行止めによる迂回のご案内】

 7月の西日本豪雨による影響により四国霊場第42番仏木寺から第43番明石寺間の道路(県道31号線)が通行できなくなっております。
 県道31号線が通行止めのため、県道279号線から国道56号線へ迂回をお願いいたします。

四国八十八ヶ所霊場ピックアップ

第29番 国分寺 こくぶんじ
第29番 国分寺

土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国府は、国分寺から北東1kmほどの近くで「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心であった。
聖武天皇(在位724〜49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。
縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。


第30番 善楽寺 ぜんらくじ
第30番 善楽寺

高知城へは約6km、JR高知駅まで約4kmというこの辺り一帯は、往時「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた地方である。 縁起によると、桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代藩主・山内忠義公のころには武門の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。だが、明治新政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、平成6年1月1日を以って「善楽寺」は第三十番霊場として現在にいたっている。

お問合せ先
四国八十八ヶ所霊場会
TEL:(0877) 56-5688 FAX:(0877) 56-5689