四国八十八ヶ所霊場 遍路心得

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遍路基礎知識

四国遍路の由来(しこくへんろのゆらい)
弘法大師像
真念著『四國徧礼霊場記』 西林寺蔵
(1690年刊行・版本)
上巻の冒頭に描写されている江戸・元禄時代の遍路姿。笠、杖、負俵に足半(草履)等の姿に、当時の遍路たちの風俗がしのばれる。

古来、四国は国の中心地から遠く離れた地であり、様々な修行の場でありました。讃岐でご生誕されたお大師さま(弘法大師・空海)もたびたびこの地でご修行をされ、八十八ヶ所の寺院などを選び四国八十八ヶ所霊場を開創されたと伝えられております。そのお大師さまの御跡である八十八ヶ所霊場を巡礼することが遍路です。当初の遍路は、修行僧などが中心でした。その後、お大師さまに対する人々の信仰(弘法大師信仰)の高まりと共に、日本全国から多くの方が遍路されたといわれております。そして、お大師さまのゆかりの地として、誰しもが一度は訪れたい霊場として発展していきました。


弘法大師(こうぼうだいし)
弘法大師像
弘法大師 四国八十八ヶ所霊場会蔵

お大師さま(弘法大師・空海)は、宝亀五年(774年)に讃岐「屏風ヶ浦」(現在の香川県善通寺市)でご誕生されました。幼名は真魚。幼少より聡明であったといわれております。15歳の頃、高級官吏(官僚)になるために長岡京に上り勉強をされ、18歳で大学に入学。その頃に吉野や葛城山で仏道修行をされている修行者に出会い、大きな影響を受けられ、自身の進むべき道が仏の教えであると決意されます。そこで、周囲の反対を押し切って大学をやめられ、求法のために、ご生誕の地である四国の石鎚山や大瀧嶽、室戸崎などで虚空蔵求聞持法などの厳しい修行をされました。その修行の日々は『三教指帰』などに著されております。その後、名前を「空海」と改められ、遣唐使の一行として唐に渡り、長安の青龍寺にて恵果和尚より密教のすべてを学ばれました。帰国後、真言宗開創の許しをえられ、高野山や東寺を賜り、『即身成仏義』や『秘密曼荼羅十住心論』等を著され、密教を中心とした仏法興隆に努められます。また、我が国最初の民衆のための教育機関「綜芸種智院」の建立や満濃池の修築など、教育普及や社会的事業にもご尽力されております。そのご生涯を、鎮護国家、済世利民のためにつとめられ、人々が幸せであり、繁栄することを理想とされ、私達一人一人が自らの能力、才能を存分に生かしきる生き方を目指し、努力することをすすめられたお大師さまは、承和2年(835年)に高野山において62歳でご入定されました。その功績を称えられ、延喜21年(921)に醍醐天皇より弘法大師の大師号が贈られております。


同行二人(どうぎょうににん)

遍路修行をしているとき、常にお大師さま(弘法大師)と共にいるということ。
四国遍路の場合は、その象徴として、金剛杖がお大師さまそのものとされています。
遍路修行者は複数人であっても、個人対お大師さまの同行二人であります。


お砂踏み(おすなふみ)
お砂踏み
四国八十八ヶ所霊場会お砂踏み
(東京巣鴨眞性寺にて開催)


お砂踏み
お砂踏み巡礼様子

お砂踏みとは、四国八十八ヶ所霊場各札所の「お砂」をそれぞれ集め、その「お砂」を札所と考えて「お砂」を踏みながらお参りすることです。そのご利益は、実際に遍路をしたことと同じであるといわれております。江戸時代には、四国八十八ヶ所霊場を模し新四国、島四国、八十八ヶ所などと呼ばれる四国八十八ヶ所各札所のご本尊さまと「お砂」を安置するうつし霊場やお砂踏み道場などが日本全国に数多く造られました。現在でも数多く寺院でお砂踏みが行われています。

また、「お砂踏み」とは、四国遍路ができない人の為に四国遍路を身近に感じていただくものでもあります。時代が流れ、四国は格段に近くなりましたが、それでも様々な理由で四国へ訪れることが出来ない方もいらっしゃるのではないかと思います。そこで四国八十八ヶ所霊場会は、何らかの理由で四国へお参り頂けない方にも、少しでも四国遍路の魅力に触れて頂ければと考え、お砂踏み一式を皆様のもとへお持ちして体験して頂く「お砂踏み巡礼-へんろのこころ届けます-」(以下、お砂踏み巡礼)という企画をいたしました。この「お砂踏み巡礼」は長机が4脚程あればどこででも、また、どなたでも「お砂踏み」を行うことができ、仏さまやお大師さまとご縁を結ぶことが出来ます。

「お砂踏み」や「お砂踏み巡礼」の様子はイベント情報でご確認ください。また、「お砂踏み」や「お砂踏み巡礼」に関するお問い合わせは四国八十八ヶ所霊場会までご連絡ください。
■ 電話(0877) 56-5688 ■