参拝所の経緯

元々四国八十八ヶ所霊場会の62番は下記の寺院が札所となっておりましたが、近年霊場会共通の規則の順守や参拝者への様々な対応に於いてお遍路さん並びに旅行業者、先達の皆様方の四国八十八ヶ所霊場巡拝結願がスムーズに行えないという事態が数多く認められるようになりました。

霊場寺院、霊場会におきましても再三改善をお願いいたしましたが、改善がみられませんでしたので、参拝者救済のために平成29年4月24日より四国霊場第61番香園寺ご住職様にご無理をお願いして、香園寺管理地内に四国八十八ヶ所霊場会参拝所を開設し、ご参拝やお納経が受けられますように配慮いたしました。

霊場会では今後も宝寿寺ご住職様に他の四国八十八ヶ所霊場寺院と歩調を合わせ、適切な管理運営がなされますよう説得に努めてまいります。ご参拝の方におかれましても、ご迷惑をお掛けいたしますが、ご理解とご協力を宜しくお願い申し上げます。

また、宝寿寺へのご参拝はご自由ですが、参拝においての苦情等は霊場会事務所並びに霊場寺院、特に近隣の霊場寺院では対応いたしかねますので、ご容赦いただきますよう重ねてお願い申し上げます。

第六十二番 天養山 観音院 宝寿寺

開 基 聖武天皇       創 建 天平年間(七二九~四九)

本 尊 十一面観世音菩薩   宗 派 真言宗単立

御真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

御詠歌 さみだれのあとに出たる玉の井は 白坪なるや一宮かわ

略縁起

 JR伊予小松駅から酉へ歩いて一分、一〇〇メートルと近い。往時は伊予三島水軍の菩提寺として、また、大山祇神社の別当寺として栄えていたのが宝寿寺の沿革である。

 縁起によると、天平のころ聖武天皇(在位七二四~四九)は諸国に一の宮を造営し、この地にも伊予の一の宮神社が建立された。後に大和の僧・道慈律師(?~七四四)が勅命をうけて法楽所としての別当寺を創建したのがはじめとされる。このとき天皇は『金光明最勝王経』を奉納され、寺名は「金剛宝寺」と称して、現在地ではなく中山川下流の白坪という地にあったと伝えられる。

 弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(八〇六~一〇)で、寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造した。これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。